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防犯にかける熱い思い 「理念を継承し次世代へ」

「防犯・セキュリティ」の仕事を始めた経緯   取締役会長 小野 真司

小野会長が40年前に「防犯・セキュリティ」の仕事をしようと考えられたのはどういう理由からですか?

父親が昭和46年当時マリーナを経営していて国際ボートショーを見学に行った時、併設されていた第4回セキュリティショーを時間があったので見学しました。セキュリティショーでは窓が開くと警報音が出る警報器、超音波センサーなど当時の最新の防犯システムが展示されていました。

父は非常に驚き、「これからはこれだ」と実感してその場でメーカーのブースに飛び込み代理店になりたいと申し出たのがスタートでした。

それから父の会社である株式会社日大防犯部として自分の縁故や知人を中心に営業を行いました。しかしながら工事・メンテナンスが自分でできず、何か不具合があっても横浜からメーカーの人間が出てきて対応する、といった状況で 費用もかさむしリアルタイムの対応ができないことが続き、このままでは信用を失うと防犯の仕事は中断していました。

そういう中で、岡山の高校を卒業して地場産業に就職したものの一週間で「この企業は駄目だ」と感じて辞める決意をした私に、「中断している防犯の仕事をしないか」という声がかかり、横浜のメーカーにて勉強をすることとなりました。

創業当時 かなり苦労をされたと思いますが、どんな感じでしたか?

当時は今のように価格競争はなくのんびりとした時代でしたが、反面 お客様の防犯に対しての意識は非常に低く、防犯システムをお勧めしようとしても「鍵をかけたことはない」「犬がいる」「警備システムなど設置したら何か悪いことをしていると周囲から見られる」などと言われ、飛び込み営業をしてもほとんど話を聞いてもらえませんでした。

一年目に月50万円の売上を上げることを目標にしていましたがほとんど売れませんでした。

そんな中で最初のお客様は新聞広告を見て問い合わせをいただいたお茶屋さんでした。C-10という1チャンネルの受信機と窓開閉検知センサーで約15万円。自分で営業に行って提案し、見積もりを作り、受注後は作業着に着替え大学生のアルバイトを連れて工事に行きました。

周囲からの期待とプレッシャーで押し潰れそうになる時もありました。夜中にうなされたことも何度もあります。

それを見かねて両親から知人などの紹介がありましたが絶対に行きませんでした。一人で立ち上げるのだという強い信念を持っていました。

そんな中で竹中エンジニアリング株式会社の赤外線センサー「パルサー15B」などを持って地場の警備会社に営業をかけたりしていました。

又、防犯機器だけでなく何かとセットで売れないか?と考えました。例えば「金庫+防犯機器」「サッシ+防犯機器」「造園+赤外線センサー」といった感じです。

セキュリティハウス岡山を創業して忘れられないお客様はどんなお客様ですか?

そんな中で金庫メーカーであるK社にも訪問しましたが最初の1年は相手にしてもらえませんでした。やっと2年目に入って当時の所長さんが銀行の理事長宅に防犯システムを取り付ける仕事をやらないか、と言われ「やります」と即答して受注しました。

ところがその工事の日 待ち合わせの時間9:00に10分程遅れてしまったのです。その家の前に所長が立っておられましたが遠目にも頭から湯気が上がっているのがわかりました。怒っておられるなと直感しました。「バカたれ!」大声で怒鳴られました。

「すみません、材料を買っていて」と言うと「泥縄商売をしやがって」と又叱られました。意味は分かりませんでしたが「すみませんでした」と平謝りしてなんとか仕事を終えました。丁度月曜日で朝工事の材料を買うために電材屋に行ってきたのですが、掛け売りをしてもらえず現金購入のため手間取って遅れてしまったのでした。

「泥縄商売」・・初めて聞いた言葉の意味を自宅に戻ってから母親に聞いたところ「泥棒を捕まえてから縄をなうという意味で、泥棒を捕まえてから縛るための縄を作ることだよ。段取りが悪いということをおっしゃっているんだよ」と教えてもらい、初めて所長さんの怒っておられた意味が理解できました。

このことは人生の教訓として今でも忘れることができない出来事です。
この金庫メーカー様とはそれ以降現在まで36年も継続してお付き合いいただいています。

セキュリティハウスに加盟された理由は?

セキュリティを取扱い始めてから竹中エンジニアリング株式会社とも取引を開始しました。最初の年の年間仕入金額は68万円。2年目は680万円。3年目が1000万弱でした。当時の担当者は「年間1000万円を超える販売店を作るのが夢」と言っていました。パルニックス専門店という制度に登録し、同社の防犯システム専門店として活動していました。売らない代理店はメーカーは相手にしてくれない。それならば売ろう、と心に誓いました。

昭和58年、同社よりセキュリティシステムの専門店を全国チェーン展開をする、という主旨の説明がありました。翌年1月にはその本部である株式会社セキュリティハウス・センターができました。日本で最初の防犯・防災システム専門店の全国チェーン展開に賛同し、全国組織の中国地域の拠点として昭和59年11月30日に株式会社日大 防犯部を独立、株式会社セキュリティハウス岡山を設立いたしました。

社長写真

総合防犯設備士でもある会長は、岡山県警本部から「防犯アドバイザー」の委託も受けている。

岡山県防犯設備業協会の理事として銀行等に防犯講演を行うことも多い。

会長が「防犯」の仕事をする上で、一番大切にされているのはどういう点でしょうか?

「自分が満足できるものであるかどうかのイメージ」です。例えばお客様は防犯システムに何故何十万も支払っていただけるのか?それは「これを入れれば安心になる。安全になる。楽になる」と感じそこに価値感を見出すから買っていただけるのです。

そうであればそう感じてもらえるように徹底して行うことが大切です。 いつも心がけているのが「良い商品を扱い、良い提案を行い、良い施工をする」ということです。

お客様にとってどんなシステム・商品が安心・安全・楽になるのかをイメージしてそれを実現することに拘っています。

会社で常に社員に指示していることはどういう点でしょうか?

やはり「イメージ」ということです。

例えば営業が見積もりを作る時、お客様が何を望んでいるか?通常はどんな生活をしているのか?どこから泥棒は侵入してくるのか?どんなリスクがその会社にはあるのか?といったことをイメージして、何をしたらお客様が安心で安全で楽になるのかを提案するように指示しています。

工事の場合も、その家では奥さんがいつもはどこにいて身長はどれくらいか?生活パターンは?といったことをイメージしてお客様にとって使い勝手の良い施工を行うようにと言っています。

以前にある官公庁のお仕事を入札で受注しました。その中でインターホンの設置も含まれていましたが、インターホンを置く台などが入札の中に含まれておらず、そのまま指定場所に設置したのではインターホンを取るのに非常に不便な状況でした。そこで「そんな設置工事は弊社の仕事ではない」と、インターホンを置く台を特注でサービス提供しました。こちらとしては、セキュリティハウス岡山の仕事で不便だと感じさせたくない、という拘りからでしたが非常に喜んでいただき、追加のシステムもその後受注できました。

全て基本は「お客様の立場に立って行動をする」ということです。

 

 

これからセキュリティハウス岡山としてどうしていきたいでしょうか?抱負を教えて下さい。

弊社は社名が「株式会社セキュリティハウス」です。社名の通り「セキュリティ」の専門企業であると同時にセキュリティハウス・ネットワークに対する強い思いからこの社名にしました。

異業種からの参入が防犯業界にも多いですが長続きしない会社も多いです。

そうした中で、防犯専門に40年ずっとやってこれたのはやはり「お客様の立場に立って良い商品を扱い、良い提案を行い、良い施工をする」ということに拘り続けてきた結果だと確信しています。

企業の平均寿命が20年と言われていますが、やはりその時に手に入る最良のものを最良の形できちんと提供することこそ長生きの秘訣だと痛感しています。

そのためには多くの商品に対する深い知識を持ち、良い商品を見極める目を持ち、お客様のニーズに応える提案力を持ち、すっと正しく使っていただけるための施工技術力・保守メンテナンス力を持つことが大切です。

そのためにも技術力をもっともっと磨きをかけていきたいと思います。

防犯への熱い思いの継承  代表取締役社長 小野 真人

平成28年6月1日 代表取締役社長に就任

小野社長は「防犯」の仕事をしようと決意したのはいつ頃でしたか?

27歳の時に弟から「そろそろ準備をしたほうがよいのでは」との話を受けて、この仕事に就きました。

「防犯」の仕事を始めてどう感じましたか?

工事担当としてスタートして下積み時代というよりも純粋に楽しかったです。
いかに早く終わらせられるかということと、よりきれいな仕上がりにするためにどうすれば出来るかを工夫することにやりがいを感じていました。

小野取締役

忘れられないお客様とのエピソードを教えて下さい

当社とのお付き合いは約30年の某警備会社。
幹部が入れ替わることもなくずっと昔ながらの手法や考え方でされている会社(もちろん売上はほとんどありませんでした。)の担当になったのが4年前で、担当になりたての時は前担当が特に長かったのもあり、何をしたわけでもないのに『この若造がっ!』というような扱いを受けていました。

お客様は管理会社ですが、システムを理解されてないので全部当社に丸投げ状態。 
打ち合わせから設計、取り説に設定も当社まかせ。しまいにはエンドユーザーへの見積もりまで・・・。 
しかし『何でもやります!!』という当社のある意味因習を見直すため、お客さんに自立してもらうためにうるさく言われましたが、問答無用で歩み寄りを測りました。

その結果、相談回数は前よりも増えましたが、管理も営業も自らで行っていただく様になり、管理会社としての責任を持っていただけるようになりました。
今では幹部の方も昔では考えられませんでしたが、自らコーヒーを入れて振舞ってくださいますし、社員教育に力を貸してほしいといった要請を受けるなど、切れかけていた関係が以前に増して太くなっていっていると感じます。また伸び率から見ても周囲も一目置いています。

問題意識を持っていただくという部分は努力しましたが、やはり同じベクトルに向けて頑張れた、頑張れているというのが忘れられないエピソードですかね。もちろん現在進行中です。

小野取締役

「防犯」の仕事の魅力はどこにありますか?

1. 安心してもらえることによって感謝されることに喜びを感じます。

2. 無形の『安心』というものを様々な機材を用いていかに表現するのかというところに面白みがあると思っています。

3. 専門性が高いので誰にでも簡単に始められない職種だということ。

小野社長にとって小野会長はどんな存在ですか?

難しいですね・・・。

1. つきつめる(こだわり)事ができる

2. 面倒見がいい

3. 努力家

4. 防犯のプロ(設計が単純に上手い)

5. バイタリティの塊

6. 一本気がある


他のお客様に対する態度を見て人のために何ができるかを考えている人間だと思います。

これからセキュリティハウス岡山としてどうしていきたいでしょうか?抱負を教えて下さい。

「良い商品を扱い、良い提案をし、良い工事をする」という会長の経営方針に関してはこのまま引き続いていきます。
世の中デジタル化していますが、わが社のアナログ的な部分はそのまま継続していきたいと思います。

これまでの技術屋集団の看板はそのまま残していくべきと思いますが、一昔前の複雑なシステムが出来るから評価されるというわけではないと思いますので、新たなカラーを突き詰めていかなければならない。その中でも情報収集に長けた企業を目指すということが大きな鍵になると考えます。

また、外部と内部の両方の充実を目指すのがもちろん望ましいですが、当面は内部の充実に力を入れて生きたいと考えています。
社外研修もスケジュール化して個々のスキルをあげてもらえるように体制を整え、よりお客様にご満足いただける人材を提供したい。

「顧客満足」に加えて「従業員満足」をj感じてもらえるようにしていきたいです。

最後までいたい会社、社員が自分の子供を入社させたい会社、岡山県下で入りたい会社ナンバーワンの会社にしたいです

働きやすい会社とは?
を共に考えた『CSとESのバランスの取れた企業作り』
それが当面の目標です。
そして10年後、創業50周年の式典で、これからわが社を卒業していく先輩を感謝の気持ちをこめて表彰したい、というのがこれから10年の目標です。

防犯にかける熱い思いを語る二人。
会社をどうしていくのか?
理想のシステムは?
時には熱さゆえに激論を戦わせることもあります。
これからも防犯システム一筋に邁進していきます。